誰の人生も、うらやましい。

社会人4年目になりました。

「はじめましての質問」がむずかしい

 

金曜日、1年ぶりに前職の同期女子とごはんを食べに行った。

 

 

話の流れで、「マッチングアプリに疲れた」っていう話になった。

 

 

私の同期はもうめちゃくちゃかわいいくて、

普通に考えて出会いに困らんだろっていう感じなんだけど、

そんな子でさえマッチングアプリでの出会いに疲れ、いまはしばらく休止中らしい。

 

 

疲れの原因はいわゆる「はじめましての質問」だった。

 

 

 

「出身どこなの?お酒結構飲むの?職場どこなの?何の仕事してるの?土日何してるの?」

 

こういう類の質問を、毎回違う人と繰り返すことに疲れてしまったらしい。

 

 

 

もちろん男性が悪いとかではない、

疲れるのは女性側だけではないと思うんだけど、

「はじめましての質問」って、まあつまらない。そして疲れる。

 

この「疲れ」は、めちゃくちゃ共感できると思った。

 

 

 

知りたいからこそなのは分かるんだけど、

互いにテンプレートになるし、心がスンッってなっていくやりとりなんだよね。

勤務地とか出身地の話なんて面白くしようがないじゃん。

 

 

ロス出身とかならまだしも、

例えば、埼玉生まれ新宿勤務のOLの話を広げるのってかなり無理だよね。

埼京線の話で盛り上がれる相手がいたら、

逆にその時点ですきになっちゃうよ、そんなの。

 

 

だからといって、これを乗り越える方法ってそうそうなくて。

 

 

もう2020年になるのにわたしたちはいまだに、

この壁にぶち当たっているっていう。

 

 

だから今日はなんとなく、その解決法を考えてみたいと思う。

 

 

 

①Tシャツに書いちゃう

 

1週間くらい前にTwitterでバズってた、

コンビニに行くときに着ていく用「温め・レジ袋・割り箸の有無の意思表示が出来る」っていうTシャツ。

 

この話を横展開して、

「はじめてましての質問」をプリントした服をつくってみるのはどうだろう。

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出身地・勤務地・飲酒有無・趣味を服に書いておく

 

これなら、テンプレートの質問を聞かなくても・聞かれなくて済むし、

なんなら面白い人だねって、話も盛り上がるんじゃないかと思う。
 

 

 

もしくはこのご時世だから、

はじめての出会いがオンラインっていう場面もあるかと思う。

 

その場合は、②バーチャル背景を利用するのもありかと思う。

 

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これは本当にやってる人いそう

画面に入りきらない情報は二次元コードを読み取ってもらえば、

自宅でも思い出してもらえるかもしれない。

 

 

あとは、③カードを渡すのもいいかもしれない。

名刺サイズのカードに二次元コード貼り付けて読み込んでもらう、とか。

 

 

なんかそう思うと、よく婚活パーティーとかで配られるあの

「自己紹介カード」ってやつ、結構重要な役割してたんだなあと思う。

 

あのカード最終的には机の上に捨てられちゃう印象だけど。

心なしか婚活パーティーははじめまして疲れしづらかったかも。

あのカードのおかげなのかな。

 

 

 

ここまで書いたけど、やっぱり「はじめましての質問」の扱いって難しい。

 

職場恋愛や友達の紹介が圧倒的に強いのは、

はじめましてのハードルが低いからなんだろうな。

  

 

初対面の質問疲れを解消するいい方法があれば、

出会いはもっと変わるんではなかろうか。と思う。

 

 

あの心がスンってなるテンプレのやりとりが今後なくなるといいよね。

 

 

不幸を理由にまわってくるマイクは断っていい

 

 

 

自虐は続けると気持ちよくなる。

 

 

飲み会で 「なんで結婚できないの~」って言われて

それに対して笑いながら、

「いいひと紹介してくださいよ~」って答えたりしちゃうようなとき。

 

 

同級生との集まりで

「うちの会社は給料低いから」「こんなやばい上司がいるから」

っていう弊社自虐大会を開催しちゃうようなとき。

 

 

 

はじめは自分にマイクがまわってくることや、

自分の言葉でみんなが笑ってくれることに満足する。

 

 

でも、それはすぐにやめたほうがいいと思う。

 

 

心をすり減らしながら会話なんかしなくてもいい。 

自虐しないと、周りが笑ってくれないんじゃないかって思い始めちゃうから。

不幸であることに気持ちよくなっちゃうから。

 

 

自分を下げなくても相手をしてくれる人や環境があるということ、

不幸なことでまわってくる出番や、マイクや、からかいは

無視したっていいってことに、わたしも本当に最近になって気付いた。

 

 

1年前に自分を下げていた自分に言いたい。

 

「この仕事向いてないから受付嬢でもやってなよ」って言ったきた人や、

「売れ残り」だと言ってきた人に、笑いながら返事なんてしなくていい。 

 

 

もし、いま同じようなひとをみかけたら、

もしくは自分がまたそんなことしそうになっていたら、今度は救ってあげたいと思う。

 

 

今日はそんなことをブログで言いたくなった。

昔の自分とか、いま笑いながら答えてたあなたに言いたくなった。

 

 

 

おわり

 

 

好きな広告の話がしたい #1

 

 

 

死ぬのが恐いから

飼わないなんて、

言わないで欲しい。

 

 

2004年の日本ペットフードの広告で、児島令子さんが書いたコピー。

 

ちょっと今回は、この広告がいかに好きかの話をしたい。

 

 

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おうちを汚すから飼わないというなら、
犬はお行儀を身につけることでできる。
留守がちだから飼わないというなら、
犬はけなげにも、孤独と向き合おうと努力するかもしれない。
貧乏だから飼わないというなら、
犬はきっといっしょに貧乏を楽しんでくれる。

 

だけど・・・死ぬのが恐いからって言われたら、
犬はもうお手上げだ。
すべての犬は、永遠じゃない。いつかはいなくなる。
でもそれまでは、すごく生きている。すごく生きているよ。
だぶん今日も、日本中の犬たちはすごく生きていて、
飼い主たちは、大変であつくるしくって、
幸せな時間を共有しているはず。

 

飼いたいけど飼わないという人がいたら、
伝えて欲しい。犬たちは、
あなたを悲しませるためにやっては来ない。
あなたを微笑ませるためだけにやってくるのだと。
どこかの神様から、ムクムクしたあったかい命を
預かってみるのは、人に与えられた、
素朴であって高尚な楽しみでありますよ、と。

 

 

むかし飼ってたひと、

いま飼ってるひとは分かるかもしれないけど、

犬の誕生日ってちょっと切ない。

 

はじめて家に来たときの写真を見比べたり、

少し色が薄くなった毛並みなんかを見て、

「もう歳とらなくていいよ、」

なんて思ったりする。 

 

自分より何倍もの速さで歳をとる姿をみると、

飼い主として情けないんだけど、

一緒にいるのにすでに悲しくなっちゃうこともある。

 

 

そして最期、亡くなったときは、

それまでの思い出すべてが悲しくさせる原因になる。

 

おもちゃも、使ってた食器も、あるだけで悲しくなる。

しばらくは写真も見れなくなる。

すべてわたしを悲しくさせるから。

 

 

ずっとそう思ってた。

 

 

だから、もし私が将来家族をもって、

夫やこどもが犬を飼いたいなんて言っても、

飼わないようにしよう。と密かに決めていた。

死ぬのが悲しいし、こわいから。

 

 

ただ、そのあと、このコピーに出会った。

 

犬たちは、

あなたを悲しませるためにやっては来ない。

あなたを微笑ませるためだけにやってくるのだと。

 

コピー全体が素晴らしいんだけど、特にこのボディコピーを読んだとき、

おおげさに聞こえるかもしれないけど、本を一冊読んだような感覚になった。

 

 

途端に、「思い出すべてが悲しくさせる材料になる」なんて思っていた自分が、

すごく恥ずかしくなった。

 

 

そうか、犬は。

 

いや。たぶん、すべての生きものは、

悲しくさせるために生まれてきたんじゃなくて、

微笑ませるために生まれてきてた。

 

改めて、うちの子との14年間を思い返すと、

いなくなってしまったことよりも、

もっとたくさんの思い出があることに気づいた。

 

車にのせるとうれしくてずっとソワソワして、

散歩ではつかれて途中で抱っこをせがんできたりして、

いつも肉球からホカホカのポップコーンのにおいがする。

 

そうだよなあ、あんなにかわいいいきものと一緒に入れる日々は、

神さまが人に与えてくれたとてつもなく尊い贈りものだったんだな、と思った。

 

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広告 = ○%オフ!○○円お得!

というものだと思っていた当時のわたしにとって、

概念や価値観を変えるこのコピーは衝撃でしかなかった。

 

これまでにない、ことばのすごさというか、ことばの可能性を感じた。

 

 

まだまだ自分の書くコピーや文章は修行が足りないけど、 

自分の書いたことばもいつかこうやって、

人の考えを明るい方向に持っていくことができたらいいと思う。

 

 

4年目

 

 

去年の自分は常に鼻息荒くギラギラしていて、

このブログを書いたときは、転職への意気込みが異常なレベルだった。

 ↓

 

2年目の志望動機と、諦められない仕事の話 - 誰の人生も、うらやましい。

https://yui-log.hatenablog.com/entry/2019/02/05/2%E5%B9%B4%E7%9B%AE%E3%81%AE%E5%BF%97%E6%9C%9B%E5%8B%95%E6%A9%9F%E3%81%A8%E3%80%81%E8%AB%A6%E3%82%81%E3%82%89%E3%82%8C%E3%81%AA%E3%81%84%E4%BB%95%E4%BA%8B%E3%81%AE%E8%A9%B1

 

ただありがたいことに、この1か月後にわたしは営業職として内定をもらうことになり、いまにいたる。

 

この1年、就きたかった代理店営業として働き、なんなら彼氏もできたし、1年前の自分と比べると幸せすぎて逆にコメントがない。ノーコメントな日々を過ごしてる。 

 

そう、いうならばハッピーエンド。 

 

 

 

で終わればよかったけど、人生そう甘くなかった。

 

なにが問題かって、まだ1年しか経っていないのに、この負けん気や貪欲さをいま完全に忘れかけていることである。

せっかく就きたい仕事につけたのに。

 

「あの人の仕事いいな」とか「あっちの仕事の方がたのしそうだ」とか。

 

最近徐々に仕事になれてきたのもあって、気付かないうちにないものねだりをしてたっぽい。

あぐらをかいていたらしい。わたしは。

 

とても恐い。今後気を付けよう。GW明け、引締めよう。一層仕事がんばろう。

 

 

とともに、去年の自分、めちゃくちゃありがとう。

1年前の貪欲さを書きなぐっておいてよかった。 

 

 

朝ごはんすらすぐに思い出せなくなるくらいだから、これからも書こう、ブログ。

 

いまの感情とか思いが、あわよくばいつかの自分の尻をたたいたり、背中を押したりする日が来るかもしれないし。

 

 

みなさんも、ぜひ。ブログ書くのおすすめです。

 

なんか辛かったり、なんとなくいらいらしたらとりあえず書いときましょう。

1年前の自分が笑ってくれたりするかもしれないし。

 

 

というわけで、今年の自分も、もっとギラついていこうと思う。

社会人4年目の自分より。