誰の人生も、うらやましい。

社会人4年目になりました。

「アイス買うか?」っていう手段もあったりする

 

 

 

おととい、22時頃、父から着信がありまして。

 


この時代、仕事以外で電話鳴ることなんて、ほとんどないじゃないですか。 


しかも、LINE電話じゃなくて携帯電話番号に着信が入ってたんです。 

 


結構、焦りました。

 


親もそんなに若くない年齢です。 

 


で、若干緊張しながら電話に出たら父が第一声、

 

 

「アイス、買っていくか?」って聞くんです 。

 

 

何事かと思いました。

 

 

どうやら、私の家近くで仕事があったらしく、寄れる距離にいるから、と電話をかけてきたっぽいんですね。 

 


ああ、何かあったわけじゃなかったんだな、と安心しまして。

 

まあせっかくだから断る理由もないし、買ってきてもらうことにしました、アイス 。




それで、数分後

 

 

インターホン鳴って、ドア開けたら父がファミマの袋持って立ってまして 。


私を見るなり袋を渡して、一言二言交わしてそのまま帰っていったんです。 


「いやいや、家上がらないのかよ」って感じなんですけど。 

 

よく見たら袋の中、マルチパックのハーゲンダッツと、大量のスープ春雨が入ってました。

 

 

カップ麺じゃなくて春雨を選んでくれてるところとか、ハーゲンダッツはマルチパック買ってるところとか、たぶん、いろいろ考えてくれたんだと思います。

 

そこでやっと、「アイス買っていくか?」って、結構父なりに頑張ったコミュニケーションの取り方だったんじゃないかと、気付きました。

 

いや、めちゃくちゃ今更なんですけど。 

 

私がまだ実家にいたころも、家の最寄駅についた父がよく「アイスいるか?」って、電話で聞いてくるのが習慣だったんです、そういえば。

 

 
なんかもう、そういうことに気付いてしまったら急に、さみしくなって 。


LINE送りました、すぐに。

 

で、次の日、「たまには家に帰って来なさい」って返信きてました 。

 

 

 

今週末は絶対に、実家に帰ろうと思います。



皆さんも忙しくても、帰れるときに帰りましょう。

 

 
冷静に考えて、年に数えるくらいしか顔合わせてないんですよね、たぶん。 



あと、私もゆくゆくは、 「アイス買っていこうか」って言えるような大人にならなきゃいけないよなって思いました 。

 


おわり 

 

2年目の志望動機と、諦められない仕事の話

 


転職をする人が必ずぶつかるのは、


「そもそも、自分にとっての『働く』ってなんだろう」

 

っていう問いだと思う。

 


いま、働いている多くの大人の人は、どう答えるんだろう。


とりあえず就職しなきゃいけなかった新卒時代と違って、働きはじめてから、大切なものや出来ないこと、いろんなことが変わったし、いろんなことが分かってきたと思う。

 

 

何のために、働くんだろう。

 


恐らく、多くの人にとっては「お金を稼ぐため」がいちばん、


そして、次にくるのが「やりがい」なんじゃないかと思う。

 


かくいう私は「人に可能性や、選択肢を与える仕事がしたい」と思って、新卒時代に就活をしていた。

 

これまで幾度となく、人からの提案に助けられてきたし、一人では出来ないことや、思いつかないことも、人といると乗り越えられるものだと思ったことが、すべてのきっかけだった。

 


「人に可能性や選択肢を与えられる仕事。営業がしてみたい。」

 


これがとにかく、ブレない大きな軸だった。

 


そして、もう一つの大きな軸は「モノを買う気持ち」に関わること。

 


大学時代にすぐにやめようと思って始めた試食販売のバイトが、なんだかんだ楽しくてやめられなくて。トークや提案次第で商品を買ってもらえることが、面白かった。


試食販売を通して「目の前にいる人に合わせて提案をすれば、モノは買ってもらえるし、その人を幸せにすることも出来る」っていうことを知った。

 


新卒時代は、とにかく仕事とかそんなものを超えて、その2つの「やりがい」を求めるために、自分の人生を使ってみたいと思った。

 

 

ただ、やりたいことと出来ることは必ずしも一致しないのが、この世の中だと思う。

 

 

私が新卒で入社後に配属されたのは、営業職とは関係のない、全く望んでいない職種だった。

 

 

その時は、営業部署に配属された同期が、もうとにかく羨ましかった。


帰り道で大泣きしたのを今でも覚えているし、自分には適性がないと否定された気がして、悔しかった。

 

 


でも、2年経とうとしているいまでも、人事の人に、営業は向いてないと言われようと、やってみたいことは諦めきれなかった。


できるなら、やってみたいことも出来ることも、一緒にしたい、と思った。

 

 

だからいま私は、転職活動をしている。

 

 

流されたほうが楽なのは知っているけど、
いま流されたら、数年後の自分がかわいそうだから。

 


転職先が見つからなくても、もがくだけもがいてみたい。何もしなかったら、きっと、死ぬ前に後悔するだろうから。

 


もしいま、仕事がつまらないと少しでも思っている人がいるなら、「やってみたいことと出来ること」を近付けることを諦めないでほしい、と思う。

 

 

私もまだ途中だけど、もっとたくさんの人にちゃんとそう伝えられるように、向こう側に行けるように、頑張るので。

 

近いうちにいい報告が出来るように、頑張るので。

 

「この人でなくては」になれなかった人の話

 

 

去年の12月で、24歳になった。

 

 

周りには第一次結婚ラッシュが訪れていて、「Facebookを開くことが辛くなる」って聞いていたのはこのことか、と感じる日々だったりする。

 

同時に、昔からの友達の結婚は、本当にうれしいっていうことも知った。

 

 

だけど、いまだに「誰かに好かれて結婚すること」が当たり前に訪れる幸せであると、私にはどうしても思えない。

 

はるか遠くの、別の自分に訪れる何かだと思ってしまう。

 

 

わたしは幼いころから、それはもう、承認欲求の塊のような性格だった。

 

初めて会う人には、とりあえずそこそこ好かれるような言動をし、人に嫌われることは、何よりも怖いことだった。

 

 

 

その癖は大人になっても抜けず、「嫌な感じがしない人だね」と、いまだによく言われる。

  

 

当初、それは褒め言葉として受け取っていたし、言っている側も、いい意味で言ってくれたのかもしれない。

 

ただ最近、その言葉に、すごく苦しめられるようにもなった。

 

 

 

例えば、ごはんに誘われたとき、

 

「この人は、私ではなくても、"黙って話を聞いてくれる女の子"であれば、誰でもよかったんだろうな」と思ってしまう。

 

相手の話をいい感じで聞く技術があれば、人に好かれることは簡単だし、若い女の子であればなおさら。 

 

 

我ながら、ことごとくひねくれた考え方だと思うけど、結構そういう考えをしちゃう女の子は多いんじゃないかと思う。

 

  

自分は誰の心にも残らないんじゃないかと思うし、だからと言って、自分の好きなように振舞って、嫌われる勇気もなかったりする。

 

 

人に嫌われない技術はそこそこうまくなったけど、反面、誰かに好かれることも少ない。

 

黙って話を聞いている誰か、にしかなれない。

 

 

こと恋愛の話になるとそれは顕著で、人がどうやって自分なりの存在価値を見出していくのか、私は知りたい。

 

 

「この人ではなくてならない」に、自分が果たしてなれるんだろうか、といまだに考えたりしてる。

 

 

25歳になる前には、そうなれたらいいな、と思う。

 

 

自分を連れ出せる大人になった

  

なんとなくの飲み会に参加したり、人に流されて二次会に参加することをやめました。

 

やりたくないからって、ダラダラ仕事をしたり、ただ愚痴を言って待つことをやめました。

 

無理だと思ったことや、嫌なことは、ちゃんと断ることを知りました。 

 

 

反面、別れたり、ひとりになったり、泣いたりもしました。

 

人に意見を言ったり、居心地の良さにすがらない自分に、時々嫌気がさしたりしました。 

 

 

だけど、その分、大人になりました。

 

その分、自分を遠くに連れ出すことが出来ました。

 

 

これまでの自分だったら絶対にやらないことや、ちょっと恥ずかしいかなってことにも挑戦する機会が増えました。

 

 

昔からよく、「終わり」は「始まり」っていう言葉が言われてますよね。

 

今年、別れたり寂しくなったり、泣いたり悔しくなった人はその分、遠くに自分を連れてこれた人です、きっと。

 

気付けば結構遠くに来ていた自分を、褒めましょう。

 

一年間、よく頑張りました。

 

そして引き続き、変化を許せる大人でいましょう。そういう大人のほうが幸せになれると思ってます。

 

 

特に新年って、変化にいちばん寛容な時期ですよね。

 

 

新年を言い訳に、あの人に連絡を取ったり、「これ、これまでの自分だったら行かないよな」っていう会に顔を出したりしてみましょう。

 

自分っぽくないこととか、居心地の良さから少し、離れてみましょう。

 

 

去年よりさらに、ちょっと遠くに、自分を連れていってみましょう。

 

 

そういう大人は最高だし、少なくとも私は、そういう人が大好きです。 

 

 

では、一年間お疲れさまでした。

 

 

新年も良い年になりますように。

 

 

おわり。