「アイス買うか?」っていう手段もあったりする
おととい、22時頃、父から着信がありまして。
この時代、仕事以外で電話鳴ることなんて、ほとんどないじゃないで
しかも、LINE電話じゃなくて携帯電話番号に着信が入ってたん
結構、焦りました。
親もそんなに若くない年齢です。
で、若干緊張しながら電話に出たら父が第一声、
「アイス、買っていくか?」って聞くんです 。
何事かと思いました。
どうやら、私の家近くで仕事があったらしく、寄れる距離にいるから、と電話をかけてきたっぽいんですね。
ああ、何かあったわけじゃなかったんだな、と安心しまして。
まあせっかくだから断る理由もないし、買ってきてもらうこと
それで、数分後
インターホン鳴って、ドア開けたら父がファミマの袋持って立っ
私を見るなり袋を渡して、一言二言交わしてそのまま帰っていったんです。
「いやいや、家上がらないのかよ」って感じなんですけど。
よく見たら袋の中、マルチパックのハーゲンダッツと、大量のスープ春雨が入ってました。
カップ麺じゃなくて春雨を選んでくれてるところとか、ハーゲンダッツはマルチパック買ってるところとか、たぶん、いろいろ考えてくれたんだと思います。
そこでやっと、「アイス買っていくか?」って、結構父なりに頑張ったコミュニケーションの取り方だったんじゃないかと、気付きました。
いや、めちゃくちゃ今更なんですけど。
私がまだ実家にいたころも、家の最寄駅についた父がよく「アイスいるか?」って、電話で聞いてくるのが習慣だったんです、そういえば。
なんかもう、そういうことに気付いてしまったら急に、さみしくなって 。
LINE送りました、すぐに。
で、次の日、「たまには家に帰って来なさい」って返信きてま
今週末は絶対に、実家に帰ろうと思います。
皆さんも忙しくても、帰れるときに帰りましょう。
冷静に考えて、年に数えるくらいしか顔合わせてないんですよね、たぶん。
あと、私もゆくゆくは、 「アイス買っていこうか」って言えるような大人にならなきゃいけないよなっ
おわり
2年目の志望動機と、諦められない仕事の話
転職をする人が必ずぶつかるのは、
「そもそも、自分にとっての『働く』ってなんだろう」
っていう問いだと思う。
いま、働いている多くの大人の人は、どう答えるんだろう。
とりあえず就職しなきゃいけなかった新卒時代と違って、働きはじめてから、大切なものや出来ないこと、いろんなことが変わったし、いろんなことが分かってきたと思う。
何のために、働くんだろう。
恐らく、多くの人にとっては「お金を稼ぐため」がいちばん、
そして、次にくるのが「やりがい」なんじゃないかと思う。
かくいう私は「人に可能性や、選択肢を与える仕事がしたい」と思って、新卒時代に就活をしていた。
これまで幾度となく、人からの提案に助けられてきたし、一人では出来ないことや、思いつかないことも、人といると乗り越えられるものだと思ったことが、すべてのきっかけだった。
「人に可能性や選択肢を与えられる仕事。営業がしてみたい。」
これがとにかく、ブレない大きな軸だった。
そして、もう一つの大きな軸は「モノを買う気持ち」に関わること。
大学時代にすぐにやめようと思って始めた試食販売のバイトが、なんだかんだ楽しくてやめられなくて。トークや提案次第で商品を買ってもらえることが、面白かった。
試食販売を通して「目の前にいる人に合わせて提案をすれば、モノは買ってもらえるし、その人を幸せにすることも出来る」っていうことを知った。
新卒時代は、とにかく仕事とかそんなものを超えて、その2つの「やりがい」を求めるために、自分の人生を使ってみたいと思った。
ただ、やりたいことと出来ることは必ずしも一致しないのが、この世の中だと思う。
私が新卒で入社後に配属されたのは、営業職とは関係のない、全く望んでいない職種だった。
その時は、営業部署に配属された同期が、もうとにかく羨ましかった。
帰り道で大泣きしたのを今でも覚えているし、自分には適性がないと否定された気がして、悔しかった。
でも、2年経とうとしているいまでも、人事の人に、営業は向いてないと言われようと、やってみたいことは諦めきれなかった。
できるなら、やってみたいことも出来ることも、一緒にしたい、と思った。
だからいま私は、転職活動をしている。
流されたほうが楽なのは知っているけど、
いま流されたら、数年後の自分がかわいそうだから。
転職先が見つからなくても、もがくだけもがいてみたい。何もしなかったら、きっと、死ぬ前に後悔するだろうから。
もしいま、仕事がつまらないと少しでも思っている人がいるなら、「やってみたいことと出来ること」を近付けることを諦めないでほしい、と思う。
私もまだ途中だけど、もっとたくさんの人にちゃんとそう伝えられるように、向こう側に行けるように、頑張るので。
近いうちにいい報告が出来るように、頑張るので。
「この人でなくては」になれなかった人の話
去年の12月で、24歳になった。
周りには第一次結婚ラッシュが訪れていて、「Facebookを開くことが辛くなる」って聞いていたのはこのことか、と感じる日々だったりする。
同時に、昔からの友達の結婚は、本当にうれしいっていうことも知った。
だけど、いまだに「誰かに好かれて結婚すること」が当たり前に訪れる幸せであると、私にはどうしても思えない。
はるか遠くの、別の自分に訪れる何かだと思ってしまう。
わたしは幼いころから、それはもう、承認欲求の塊のような性格だった。
初めて会う人には、とりあえずそこそこ好かれるような言動をし、人に嫌われることは、何よりも怖いことだった。
その癖は大人になっても抜けず、「嫌な感じがしない人だね」と、いまだによく言われる。
当初、それは褒め言葉として受け取っていたし、言っている側も、いい意味で言ってくれたのかもしれない。
ただ最近、その言葉に、すごく苦しめられるようにもなった。
例えば、ごはんに誘われたとき、
「この人は、私ではなくても、"黙って話を聞いてくれる女の子"であれば、誰でもよかったんだろうな」と思ってしまう。
相手の話をいい感じで聞く技術があれば、人に好かれることは簡単だし、若い女の子であればなおさら。
我ながら、ことごとくひねくれた考え方だと思うけど、結構そういう考えをしちゃう女の子は多いんじゃないかと思う。
自分は誰の心にも残らないんじゃないかと思うし、だからと言って、自分の好きなように振舞って、嫌われる勇気もなかったりする。
人に嫌われない技術はそこそこうまくなったけど、反面、誰かに好かれることも少ない。
黙って話を聞いている誰か、にしかなれない。
こと恋愛の話になるとそれは顕著で、人がどうやって自分なりの存在価値を見出していくのか、私は知りたい。
「この人ではなくてならない」に、自分が果たしてなれるんだろうか、といまだに考えたりしてる。
25歳になる前には、そうなれたらいいな、と思う。
自分を連れ出せる大人になった
なんとなくの飲み会に参加したり、人に流されて二次会に参加することをやめました。
やりたくないからって、ダラダラ仕事をしたり、ただ愚痴を言って待つことをやめました。
無理だと思ったことや、嫌なことは、ちゃんと断ることを知りました。
反面、別れたり、ひとりになったり、泣いたりもしました。
人に意見を言ったり、居心地の良さにすがらない自分に、時々嫌気がさしたりしました。
だけど、その分、大人になりました。
その分、自分を遠くに連れ出すことが出来ました。
これまでの自分だったら絶対にやらないことや、ちょっと恥ずかしいかなってことにも挑戦する機会が増えました。
昔からよく、「終わり」は「始まり」っていう言葉が言われてますよね。
今年、別れたり寂しくなったり、泣いたり悔しくなった人はその分、遠くに自分を連れてこれた人です、きっと。
気付けば結構遠くに来ていた自分を、褒めましょう。
一年間、よく頑張りました。
そして引き続き、変化を許せる大人でいましょう。そういう大人のほうが幸せになれると思ってます。
特に新年って、変化にいちばん寛容な時期ですよね。
新年を言い訳に、あの人に連絡を取ったり、「これ、これまでの自分だったら行かないよな」っていう会に顔を出したりしてみましょう。
自分っぽくないこととか、居心地の良さから少し、離れてみましょう。
去年よりさらに、ちょっと遠くに、自分を連れていってみましょう。
そういう大人は最高だし、少なくとも私は、そういう人が大好きです。
では、一年間お疲れさまでした。
新年も良い年になりますように。
おわり。