「この人でなくては」になれなかった人の話
去年の12月で、24歳になった。
周りには第一次結婚ラッシュが訪れていて、「Facebookを開くことが辛くなる」って聞いていたのはこのことか、と感じる日々だったりする。
同時に、昔からの友達の結婚は、本当にうれしいっていうことも知った。
だけど、いまだに「誰かに好かれて結婚すること」が当たり前に訪れる幸せであると、私にはどうしても思えない。
はるか遠くの、別の自分に訪れる何かだと思ってしまう。
わたしは幼いころから、それはもう、承認欲求の塊のような性格だった。
初めて会う人には、とりあえずそこそこ好かれるような言動をし、人に嫌われることは、何よりも怖いことだった。
その癖は大人になっても抜けず、「嫌な感じがしない人だね」と、いまだによく言われる。
当初、それは褒め言葉として受け取っていたし、言っている側も、いい意味で言ってくれたのかもしれない。
ただ最近、その言葉に、すごく苦しめられるようにもなった。
例えば、ごはんに誘われたとき、
「この人は、私ではなくても、"黙って話を聞いてくれる女の子"であれば、誰でもよかったんだろうな」と思ってしまう。
相手の話をいい感じで聞く技術があれば、人に好かれることは簡単だし、若い女の子であればなおさら。
我ながら、ことごとくひねくれた考え方だと思うけど、結構そういう考えをしちゃう女の子は多いんじゃないかと思う。
自分は誰の心にも残らないんじゃないかと思うし、だからと言って、自分の好きなように振舞って、嫌われる勇気もなかったりする。
人に嫌われない技術はそこそこうまくなったけど、反面、誰かに好かれることも少ない。
黙って話を聞いている誰か、にしかなれない。
こと恋愛の話になるとそれは顕著で、人がどうやって自分なりの存在価値を見出していくのか、私は知りたい。
「この人ではなくてならない」に、自分が果たしてなれるんだろうか、といまだに考えたりしてる。
25歳になる前には、そうなれたらいいな、と思う。